またまた狩俣のいさみがの話。
興味のない人にはまったく迷惑な話だとは思いますが。
前回の本を読んでいたら、もう一つ「狩俣のいさみが」があるのに気づきました。
実は、前回読んだものは狩俣(地名)の「イサミガ」で、今回のは池間島の「狩俣のイサミガ」。
そうか狩俣に住んでる人にとっては“狩俣の”は必要がない。それでタイトルが「イサミガ」だけだったのか。対して、池間島で歌うときは「狩俣のイサミガ」になる。
ほとんど内容は変わらないですが、今度は45番まである。
そしてまたまた疑問が、一体どんな風に歌われたのだろう?
沢山の人が歌詞を作り(即興で?)ここまでになったのだろうか。
何かの宴席で歌うには、歌詞の内容がシビア、他家から嫁いだ嫁さんたちが集って歌ったのだろうか?
それとも、この物語を聞くために、集ったのだろうか?
何だかどんどん疑問が出てきて収集がつかなくなりつつある。
もっとも大きな疑問は、これだけ長い歌詞を一人で歌うのだろうかということ。
6 件のコメント:
それだけ歌詞があるということは、労働歌かモーアシビ歌なのでしょうかね?
数人で唄いまわしってのも楽しいかもしれません。こういうのをバッチリマスターすれば名物になるかもしれませんよ!
大勢で唄い回しってのを考えてたとこです。
一度でイイからどうなるかやってみたいですね。
労働歌かモーアシビ歌、その線かもしれませんね。
>ワタナベさん
mixiのアドレスにメッセージ流したので見といて下さい。(ちょっと秘密)
拝見いたしましたよ~!やっぱり唄いまわしでしょうねぇ。おそらく昔は三線など高価なものであったでしょうから手拍子なんかで唄いつぎ唄いつぎやってたんだと思いますね。一人二人じゃ長すぎです・・・・
宮古は昭和33年まで三線を拒否してたという話もあります。(ギターとかバイオリンは受け入れたのに)
手拍子くらいでしょうね。
大勢でやってみたい。
20人くらいで。ということは合宿!
本日分かったこと。
歌詞が6番とか9番までしかない「狩俣のイサミガ」は平良地区で唄われているもののようです。歌詞も楽しく、クイチャーとして踊りと合わせて唄われているようです。
やっぱり行ってみないと駄目か。
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